字は法鏡加賀の産学を好み叡獄の学頭を勉む長禄年間(1457)音教寺に住す(今の圓乗寺) 文安2年庚申(1461)寺を弟子法春に譲り再び叡山に登り学頭をつとむ、文安4年、再び丁卯伊勢桑名
妙蓮寺を領す総敏絶倫博識宏才にして論議の席に臨むや快弁流るるが如し掌て竊に慈覚大師の理同事勝の説につきて擬滯する所ありしが後甲州身延山に至りて日朝上人に遭い法戦三昼夜、為に疑雲釈然たるものあり。仍て叡山の席を轉じて師資の契りを結ぶ、後、日朝上人の覚 坊に退くや後を継ぎて身延山第十二世と成る。一山を熏して指揮宜しきを得たるより山勢益々栄ゆ、在住二十年後、西谷に退きて今の円教坊に住し永正十六年三月三日寂す日朝上人の東身延山を鎌倉に築けるに傚い京都に
西身延山を剏せんとし今の妙伝寺を開剏す、此れより先き文明巳丑元年(一四六九) 徒の為に法要を示すや皆其化に浴して宗を改め寺名を改めしむ。千如山音教寺を安住山圓乗寺と初代日春上人大円坊を慧光山学成寺と初代日慶上人 華光坊、法華院、不明 其の他、圓教院日意上人の化を受けて改宗せし寺数寺を挙ぐれば

津島 妙延寺 桑名 寿量寺
桑名 顕本寺等など

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